下半身不随

 私と同年、昭和19年生まれの鈴木葉子さん(仮名)が、交通事故に遭遇したのは、平成14年1月だった。彼女は、最初の訪問介護を終えて次のお宅で頼まれていた食事材料などの買い物をして、午前8時30分、50ccの原動機付き自転車で、キープレフトを守り、そのお宅へ向かう途中だった。

 普通乗用自動車がセンターラインを超えて、対向車線に進入してきた。彼女は、全身打撲、脊髄損傷、右足複雑骨折、肋骨骨折、意識不明、自己呼吸不全、全治10ヶ月の診断であった。気が付いたのは、2日後の病院の集中治療室である。幸い命は助かったが、10ヶ月経っても身体は、戻ることなく下半身不随となってしまった。

 下半身不随の方を外部からだけ見ると、ただ、車椅子だけの生活であるかのように見え、その大変さを感じることが少ない。しかし、脊髄損傷により下半身の神経がすべて麻痺してしまい、両足が動かないばかりか、筋肉の硬直、しびれ、こわばり、むくみ、筋の硬直があると、その状態は筆舌に尽きがたい。

 両足が足のつま先にかけて、付け根から両足が内側にめり込んでいく。両膝がくっついた状態になり、更に、内側に入り込む。これを内転と言う。この状態だと、着替えが困難となるし、トイレの用を足すことができない。内転を防ぐには、下半身をマッサージして、筋肉と筋の硬直をほぐすことが必要となる。このマッサージは、2〜3時間必要である。彼女のような下半身不随の身体は、その日にマッサージをして硬直がほぐれても、次の日になると、硬直してしまっている。だから、朝、温かい湯に入り、マッサージは、毎日、必要となる。

 下半身の硬直とむくみは、次第に強くなっていく。硬直は、事故後、3ヶ月経過したころから始まった。一晩寝て、朝起きると、両足が交差してしまっている。それは、右足が左足の位置を越え、左足が右足を位置を越えているのである。この交差を防ぐために、睡眠に付く前に座布団を二つに折って、股に挟んで寝る。しかし、座布団は、ほとんど、毎日、寝ている間にずれてしまい、両足が交差してしまう。朝起きると、足が綾のようになっているので、両手で身体を起こし、ベッドの上で綾になっている両足をこじ開けて、座布団を挟み込む。これが朝起きて、まず、やらなければならないことになる。昼間の硬直の進み具合は、同じなので車椅子に座りながらも、股にスポンジを芯にしたものを挟むようにする。内転が始まり、しばらくの期間、両膝の部分の床ずれに苦労したが、座布団を挟むことで、改善した。この両足の内側への硬直を解くには、足の筋を切断すれば、解放される。しかし、反対に、足がだらりとしてしまい、その足の支えをどうするかが、課題になってしまう。また、筋の切断は、足に対する一切のリハビリを捨ててしまうことになるので、筋の切断に踏み切れないジレンマに陥る。

 床ずれは、1晩でできる。最初は、赤くなる。神経が遮断されているので、自分では分からない。防止法は、電動ベッドがある。1時間ごと、30分ごとに向きを変えるのであるが、これでは、寝ることは、できない。床ずれは、膝だけではなく、腰と踵にできやすい。膝の部分は、座布団で、対応するが、腰の床ずれは、足が動かないので、寝返りをうてないため生じる。元気な頃、当たり前のことと思っていた、寝返りや普段の手足の動作が、これほど、重要なことだと思わなかった。

 寝返りを打つにも、身体全体の寝返りはできない。右から左の方へ身体の向きを変えるには、寝たまま、右手で、左側にあるベッドの手すりを捕まえる。右手で上半身を引きよせると上半身が左側方向に浮くので、浮いたところへ、すかさず、用意してあった座布団をあてがう。これで、若干、身体の位置が変わるが、これが彼女の寝返りで、床ずれの箇所を変えることができる。2時間半位すると、床ずれの痛さがぼんやりと伝わってくる。そうすると、今度は逆の方向へ同じような寝返りを打つ。夜、8時間睡眠をとると言っても、このように、最低、3回は、寝返りをしなければならないので、熟睡できない。時には、熟睡する。この時間は、3時間、4時間となるが、寝返りをしないため床ずれの症状が悪化して、苦しむ。だから、熟睡が怖い。

 踵の床ずれだが、両足の感覚は、左右が微妙に異なる。左足は、触感、温感、痛感などが全くない。右足は、触感、温感、痛感がほんの少し感じる。床ずれに伴う痛みは、右足に感じる。そこで、右足に来る痛みで、左足も同じ状態ではないか、と思い、一緒に位置を変える。このように気を付けているが、右足に僅かに感じる感覚を頼るほかないので、対応は十分ではないから踵に、床ずれが生まれてしまう。

 両足は、本人の意志に関係なく、微妙に震える。その痙攣で、ベッドから、右側へ右足だけが落ちていたり、左側へ左足だけが落ちている時がある。右足の感覚も鈍いので、右足が落ちていればすぐ分かるというものではない。「今日は、身体が疲れる。」と、思い、「変だな」と、感じていると、足がベッドから落ちていることを知る。ベッドの手すりは、頭側の上半分だけあり、下半分には手すりがない。手すりが全部にあるといいが、他方で、ベッドから車椅子に移るときに、その都度、手すりを外さなければならない。このためすべてのベッドが下半分は手すりがない。

 下半身が麻痺していて、痙攣をするので、昼間も、寝るまでの間、防御用の靴を履く。この靴を履かないと、足に何かぶつかり、打撲や出血をしても分からない。入浴した時に、足の傷の悪化しているのに気が付く。腰の床ずれは、失禁した時、トイレで職員さんが見つけてくれて、判るという状態である。

 排便も大変である。下半身不随は、下半身の全神経がだめになっていることである。排便は、健常者の場合、排便を催すことから始まり、肛門の筋肉もしっかりしているから失禁はない。しかし、彼女の場合、この排便の意識がほとんどない。排便の催しも、「何かお腹が、普通と違うな。痛みのようなものを少し感じるな、足がいつもより痙攣するな、それが、排便なのか、お腹が痛いのか、分からないな。」という感覚である。肛門の閉まりを全くコントロールができないので、排便の段階になると、排便の事実だけが進む。悲しいことに、排便してしまったイヤな感触も分からない。臭いが漂ってきて、「ああ、してしまったんだな」、と思う。この時の、悲しみ、健康なときの自由だったときを、思い出すと、なんと表現していいか、涙がこみ上げてくる。

 だから、時間を考え、予め行くようにする。しかし、決して、時間だけで対応できるわけではないので、失敗は、未だに、避けられない。汚物室で、汚れ物を洗わなければならない情けなさ、恥ずかしさは、何と言い表したら良いか、わからない。

 排便は、始まってからでは遅いので、予め行うことにする。しかし、無理に排便させるので、排便を促す必要がある。座薬を使用して、5分待つ。自然に降りてくる場合もあるが、降りてくる場合が少ないので、ゴムの手袋を右手にはめて、排便の用意をする。左手は、手すりに掴まって、ゴムの手袋をした右手の指をお尻に挿入して、身体を「く」の字にして排便を促す。これを、摘便という。便は、当初は、硬くなっているのが、普通だから排便には苦労する。全部が排便できるまで、済ませないと、その後に、自然排便があると大変なので、軟らかい便がでるまで摘便を行う。時間は、早いときで40分、長いと1時間半以上、トイレにいる状態になる。真夏には、汗だくでトイレをして、終わる頃には足もむくみ、疲れ切ってしまう。自宅に戻るようになると、彼女が一つを占拠してしまうので、家族用の普通の便所と障害者用の便所の2つ必要になる。

 小水は、排便と異なり、お腹に伝わってくるものもない。全く催す意識がない。だから、膀胱の許容量を超えると、勝手に出てきてしまう。定期的に、時間感覚で、行くようにする。この場合、生理的には、排尿の段階に来ていないので、自力で排尿できない。カテーテルを自分で挿入する。神経がないから、痛みは感じないが、うまくいかないときには、尿道に傷を付けて出血する。小水の時間は、カテーテルを使うので、掴まる手すりなどの消毒、両手の消毒、器具の消毒、これも使用前と使用後の消毒をするので、20分くらいかかる。リハビリテーションセンターでは、尿道へ接続したままの状態でお小水を出していたが、同時に、ここでカテーテルの使用法を練習を行ってきた。カテーテルの使用は、平成15年5月に、リハビリテーションセンターに来てからである。お小水の回数を減らすために、水分やお茶をとるのを減らすことも考えられるが、水分をしっかりとらないと、便が硬くなって、困ることになり、尿道が汚れる等、いろいろ問題が起きる。だから、水分は多めにとらなければならない。小水の回数は、毎日5回をリズムにする。

 用足しの場所であるが、車椅子が入る大きなトイレでないと、行うことはできない。病院内では、設備があるので、自分でやることができる。しかし、マッサージを受けに行く、裁判所へ行く等の時には、大きなトイレがあるかどうか、なければ、どこにあるか、時間の余裕はあるか、対応できるか、等、考えなければなたない。街の障害者用トイレの90%は、少しでも立てる人を前提にしている。手すりがあって、それが動かないので、車椅子から乗り移れない。鈴木さんのような下半身不随の方は使用できない。市役所、裁判所、官公庁、沼津駅には、南口の駅構内に大きなトイレが作られている。JRの駅構内の場合、電車利用者でない者も利用して下さい、とのことであるが、外から入ることは躊躇してしまうだろう。

  このように、外へ行くときには、トイレへ行く道のり、階段、車の置き場所までも考える。だから、トイレだけを考えても、同窓会や旅行など通常の楽しみがすべてできなくなっている。彼女は、排便など、このように強いられる毎日、話さなければ分かってもらえないこと、話すこと自体、すべてが悔しい、悲しい、もどかしい、いらだちを感じる。

 そのほか、いろいろなことに支障が生じる。朝起きて、ベッドから車椅子へ移るが、両足が動かないので、容易ではない。車椅子に乗ると、寝るまで、ベッドには移らない。できれば時々、ベッドに横たわり身体を休ませたいが、乗り降りが大変なので、車椅子に乗っている。車椅子に乗ってばかりいると、血流が悪くなり、足に浮腫、骨盤の歪みが生じる。

 3回の食事は、自分で取るが、足が勝手に跳ね上がったりするので、熱いものがトレーに乗っているときには気を付けなければならない。掃除、洗濯は、車椅子を使ってできる範囲で行うが、限度がある。

 家での自立生活を考えると、料理を作ることでも、材料を買う、洗う、包丁で切る、煮る、ゆでる、焼く。料理の盛り付け、料理を出す、ご飯をよそる、食後の片付け、食器洗いなどが続く。何気なくやってきたことも今は不可能となった。雑談をしながら、料理を家族に出すこともできない。洗濯も、洗濯機をどうするか、洗うこと、干すこと、乾燥機、片付けることも容易ではなく、タンスをどうするか、すべてが大変なことがらとなった。

 お風呂に入るのは、リハビリ・センターでは、一人で入いる。車椅子の腰掛けと同じ高さの脱衣場があるので、そこへ両手で身体を移動して、裸になる。脱衣場に続いて洗い場があり、浴槽が続く。浴槽の上部が脱衣場の面と同じ高さになっている。彼女は、洗い場にあるマットに乗り、マットを滑らせながらマットと一緒に浴槽に滑り込むようにして入る。マットは、お風呂の中で外して脱衣場に戻す。しかし、風呂場で気を失ってしまったことがあるので、この4ヶ月間はシャワーだけとなった。自宅に帰るときには、対応できるお風呂に改造することが不可欠となる。身体を洗う、頭を洗うのを洗い場で行うという健常時のころは、夢のような話である。

 元気なとき、階段は、簡単に上り下りできたが、今、階段1段分の高さは壁に変わった。10cmの家の中の段差も、大変な高さだ。自動車の乗り入れは、人の手を借りる他はない。今まで何気なく過ごしていたことが、大きな障害になった。今は家族に抱えられて異動するので、家族の休日を主に移動日にする。家族も腰痛が出て来る心配がある。

 私は、鈴木さんの代理人となって、刑事事件と民事事件の代理人となった。加害者に責任能力がない、との理由で、不起訴処分になった。また、保険会社からは加害者に責任能力がない以上、民事上の責任もない、と、損害賠償に関し支払いを拒まれた。下半身不随になっただけでも辛く悲しいのに、加害者は放任され、保険会社から賠償責任まで否定され、3重の苦しみに合うことになった。

 まず、不起訴処分は不当であり、起訴相当であるとの検察審査会への不服申立を行った。検察審査会では、不服申立が認容されたが、検察官に戻された本件は、再び不起訴処分となった。現行法では、再度の不服申立ができ、ここで、起訴相当と議決されると指定弁護士により公訴を提起されるが、当時はなかった。こうして、加害者は、刑事不処分となった。

 民事手続では、平成15年7月に受任して、平成19年1月全面勝訴判決を得たが、受任してから4年間、事故日から5年間の歳月を要した。このため鈴木さんは、身体の苦しみ以外に、法の形式的主張から苦しめられた。

 この記述は、証人尋問のため数日間をかけて聞き取った内容の半分である。私は、この記述の公開のお許しを鈴木さんから得ている。鈴木さんは、半身不随の状態というものがどのようなものかを知って欲しい。そして、民事上、刑事上の問題を知って欲しいと願っている。

2009.1.7(水)後藤正治 記