高校生か大学生のころ、友人から「趣味は、読書だ」と聞き、また、先生から「文学を読むことは、人の教養を高める」などと聞いて、自分も本を読まなければならないのではないかと考えた。いつしか文学小説を読むようになった。日本文学全集や世界文学全集を片っ端から読み始めた。谷崎潤一郎、武者小路実篤、夏目漱石、スタンダール、ヘッセ、トルストイ、ドフトエフスキー、ゲーテ - – – – -。自分の気持ちに合わないものもあったが、感激しながら多くの本を読み続けた。
しかし、40冊目とか、50冊目を読み始めたころから、虚しさが込み上げてきた。私は、こんなに本を読んで、どういう人間になるというのだ? 確かに、教養は、上がるだろう。しかし、私の中心的な悩みである職業問題からの離脱に切り込み、解決することができるのだろうか。5年経ち、10年経ちして日本文学全集や世界文学全集を全部読み上げたとして、それが何だというのだ。「君は、教養がある。」ただそれだけで終わるのではなかろうか? また、読書が趣味といっても、本の分野は、極めて多い。文学は、その一分野に過ぎないのではないか?こうして、私は、文学から急速に離れていった。
本を読むことは、今も続いている。私の本との出会いは、この「私にとって本を読む意味は何だろうか」という基本的観点から生まれてきている。
1998.4.18(土)後藤正治 記