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毎年12月になると、年賀状をどのように書くか、一つの仕事になっている。中学校を卒業して仕事に就いたころは、何の負担もなかった。数が少なかったので、下手ではあったが、内容も宛名も手書きで出していた。昭和44年、24才、司法書士の事務所を持ち、友人の他に仕事上のお世話を頂く方が増すに連れて年賀ハガキの数が増えてきた。次第に、手書きで追いつかなくなり、印刷になった。しかし、少なくとも宛名は手書きだ。
弁護士になり、年賀状の数が更に多くなってきた。内容は印刷、宛名もワープロ専用機に頼んだ。しかし、疑問が沸いて仕方がない。1年にたった一回の年賀に表も裏も印刷では、いったい何のための年賀状なのだろうか。弁護士時代より豆腐屋時代の方が心がこもった年賀状と言える。
社会的活動の範囲が広くなるにつれて人との交流は多くなる。コミュニケーションの手段が、電話、ファックス、パソコン通信、携帯電話、E-Mailと多様で簡便になって、多くの人との交流が可能になる。この手段は、これからも新しい方法が生まれ、迅速化するだろう。しかし、ホットな心の部分は、機械という水で薄められて、心の味がしないものを伝えるようになっている。年賀状の印刷は、単なるこの現れの一つに過ぎない。科学技術の発達、コンピューター化による物質的な豊かさは、心の貧しさを作る。
考えて、内容に一言で良いから、書き加えるようにした。しかし、送る人の顔を思い浮かべながら、一言を入れるとなると、大変な作業だ。毎年、11月から書こうとするが、実現しない。12月28,29日になっても終わらない。ついには、晦日、大晦日に出すようになっていた。再度の疑問が出た。年賀状は、苦痛のためにあるのだろうか。
そこで、年賀ハガキから年賀封筒にした。印刷ではあるが、「心を込める」ことに工夫しよう。こうしてマッキントッシュのグラフィックソフト・フォトショップとワープロソフトを使って年賀状を作り、カラーレーザープリンターで印刷を始めた。図柄、色、レイアウトも試し印刷を行い、決めていく。封筒と紙の色、紙質で良いものはないか。仕事で横浜や東京へ行く際に、探してみる。文字書体のフォントも明朝体、ゴシック体、行書体、正楷書体などを検討する。内容は、ニュースレターのようになっている。いつも、これで良いのだろうか、と思うが、現在の一つの結果であることに違いはない。
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年賀状を頂く人も増えた。いろいろある。最近は、カラフルな楽しい年賀状が増えてきた。パソコン時代を反映して、パソコンを使い、カラー印刷をしている。絵や写真、文字も1文字づつ色を違えてくる。デジタルカメラを使って、家族写真を取り入れて、あるいは、子どもの写真を入れている。子ども達の写真を見ていると、ほほえましい。
陶芸家から年賀ハガキを頂いた。手すきの和紙で作られたハガキ。画面一杯に振り返っている馬の版画を彫り、黒でハガキに刷り込む。「2002年春」の言葉は金色、そして、落款。3色刷となる。表の宛名書きは筆。「そうだ! 私は、このハガキを額に入れて1年間、この人の情熱を見つめよう」。
他方で、表も裏も印刷の人がいる。文面は、謹賀新年やこれと類似した言葉と「本年もよろしくお願いいたします。」と言うだけのもの。このような年賀ハガキを見ると、「仕事が忙しいんだなあ、自分と同じだなあ」と思う。しかし、他方で、これならば、出さない方がいいのではないか、と思う。もしかして、私は、無理矢理、この人に年賀状を書かせてしまっているのではなかろうか。そうだとすれば、年賀状を出すことを私の方から止めてしまった方がいいのではなかろうか。
丁寧な年賀状を頂く。お忙しいのに、一言を入れてあるハガキ。また、内容も自分の言葉で、絵もきれいに入れてあるハガキ。1年に一回のやりとりでも、心暖かいものが伝わってくる。見習いたい年賀状、だけど、見習えない自分。来年の年賀状は、「心を伝える」ことで、前進できるのだろうか。
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年賀状を出さない道もある。ハガキ1枚で、心を伝えることは出来ないし、まして、印刷で済ませるわけはない。空疎な年賀を大量に交換することに参加できない。他にも心を伝える方法がある。誠実に考えを突き詰めると、出さないことに行きつくだろう。私は、そこまで行っていない。しかし、紙一重なのかも知れない。
ふと、横から声がする。「ごっちゃん、何をグダグダ考えているんだ。毎年12月はやってくる。皆、出す。俺は普通人。俺も出す。忙しい。印刷しかない。パソコンがあるから宛名はプリンター。まだ、生きているんだ、と言う連絡にはなる。1年を終わり迎える、楽しみにしていた正月休み。28日過ぎて書くことはない。家族で旅行も大切だ。去年は、ハワイ。今年は、国内でスキー。来年も来る。それでいいじゃあないか。」
のう天気な奴だ。しかし、一つの見識だ。尽きるところ、年賀状、出すも出さぬも、いかに出すかも、いろいろ考えるかどうかも含めて性格だ。
2002.01.06(日)後藤正治 記
2002.01.17(木)加筆