この原稿は、1995年に書いたものですが、現在、日本では裁判員制度が進んでいます。この裁判員制度は、6人の裁判員が国民から無作為で選ばれ、裁判に加わり5日以内で審理判決に至ることを想定しています。
「ソクラテスの弁明」のすすめの意義については、1995年当時からすると、裁判員制度は予測しませんでした。ここにおけるアテネの陪審員制度は、紀元前399年、500人の陪審員で、1日で審理判決しています。将来も、予測しない意義が生まれてくるでしょう。
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「ソクラテスの弁明」を読んで欲しい。ソクラテスとか、プラトンとか、その名前を聞くと「難しい、すごい高度な本だ」と思うかもしれません。しかし、考えても見てください。自分自身を冷静に過去に対する評価を見ると、次の通りではありませんか。すなわち、日本の500年昔は、戦国時代で、1543年ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を伝えています。更に、1000年を遡ると古代から中世へと変化し、西暦1068年は平安時代となります。平清盛が平治の乱で勝利したのは1159年です。この時代へのあなたの評価は、古い、遅れていると思っているのではありませんか。これを西洋文化から見ると500年前は、1492年(いよーくにが見えた)コロンブスがアメリカ大陸を発見しています。更に、約900年を遡ると1096年第1回の十字軍の遠征が始まります。孫悟空の物語で有名な中国の玄奘法師がインドに行って仏典を持ち帰っている時代は600年代です。この時代に対するあなたの評価は、日本のこれらの時代への評価とほとんど同じで、遅れているという評価なのではありませんか。そうとすると、2400年前の本なんかどうってことはないと思って欲しいのです。
ソクラテスが死刑になった紀元前399年ころを日本の文化で見ると、縄文時代の晩年期で弥生時代を迎えようとしている頃です(研文書院・大学の日本史P54。)。石器を使い、野において鹿や猪の獣を追い、まだ、農業が始まっていない文化でした。なお、縄文時代から弥生時代への移行時期は、研究が深まり変動していくことでしょう。他方、中国では孔子が紀元前551年頃生まれ479年に亡くなっておりますが、孔子の死後、弟子が孔子の述べたことを主体とした「論語」を表しています。自分の歴史観からするとソクラテスの生きていた時代というのは、随分昔のことでしょう。こんな昔に書かれたことなんだ、と気楽に読んでほしいと思います。
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この本は、紀元前399年、ソクラテスが裁判所に訴えられ、このソクラテスが法廷において述べた裁判についての弁論を記述したものです。少し詳しく述べると、ソクラテスがメレトスそのほかの者により、「ソクラテスは、青年に対して有害な影響を与え、国家の認める神々を認めず、別の新しいダイモン(異教)のたぐいを祭る犯罪人である」(第11項)という理由でアテネの裁判所に訴えられます。
ソクラテス自身がその裁判において500人の陪審員(裁判官)と市民聴衆を前に反論、弁明をするのですが、「ソクラテスの弁明」は、その内容を弟子であるプラトンが記述したものです。その内容は、すばらしいものです。ソクラテスの何よりも正義を重んじていること、死に臨んでもこの価値を貫く生き方、思想を学んで欲しいと思います。
ソクラテスは、この裁判により死刑の判決を受けます。死刑の執行まで、1カ月の期間獄舎に入っているのですが、この期間友人のクリトンと言う人がソクラテスに脱獄を薦めます。脱獄が正当かどうかを議論しているのを記述したのが「クリトン」です。そして、いよいよ死刑執行の日が来ました。この日のソクラテスの友人との生死の議論、毒杯を飲むに至るときのソクラテスの態度を記述したものが「パイドン」です。ソクラテスの弁明に続いて、この2つを読むことがよいでしょう。「饗宴」を含めて4つがソクラテスの4福音書と言われています。
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この本を読む意味は、「柱の思考」の柱となることです。まず、「歴史学を楽しく学ぶ」についても、ここを出発点とし、比較論的アプローチをすることがよいでしょう。日本が縄文時代から弥生時代に入ろうとしていた時期に、遥かギリシャ、アテネでは、裁判を行い、陪審員の前で崇高な哲学と論理で弁論を展開しています。民主政治を考えるについても、このアテネでは、この当時、すでに存在しているのです。
第2に 歴史的考察を離れ「思想的にも意味があります。」ソクラテスは、プラトンの先生で、プラトンはアリストテレスの先生です。この偉大な人たちの考えに驚きます。この時代、古代ギリシャの思想と文物をいろいろ学び、ここを考え方の出発点として欲しいからです。何を考えるでも、ここへ立ち返り、こことの対比の中から考え、論述して欲しいと思います。「現代社会の諸問題、ありとあらゆることを考える」うえで「柱の思考」の柱になる思想です。
第3に 個人としても立派なものです。自分の死刑が求められている裁判において、このような弁論が堂々と述べることができるでしょうか。私は、弁護士で法廷弁論を職業としていますが、ソクラテスと同じ立場に立ったとき、かかる弁論ができるかというと、疑問です。死について、生について、これほどの考え方と弁論は困難でしょう。
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また、この本から「本の読み方」を学んで欲しいと思います。この本は、目次がなく、33項からなっています。このような本を読む場合、どのようにしたらよいでしょうか。単に、このまま読んでいくと理解するのに困難です。また、読んだ後の普通の本の把握ができません。通常、本には、目次があり、目次はピラミッド構造(ツリー構造)に組み立てられています。ですから、この本も「目次」を作り、「ピラミッド構造」に組み立てることが必要です。これをやることは、一見大変なようですが、自ら行うことを心掛けると、本を読む能力はもとより、論文を書く能力も付くのです。やってみて下さい。
この本を読むについては、中央公論社「世界の名著」プラトン1 を読むのがよいでしょう。訳は田中美知太郎編集によるもので、中央公論社のものの方が新潮文庫や角川文庫の訳に比べ極めて平明にできています。なお、私の解説中の(注)は、「世界の名著」プラトン1から引いております。
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「書く意味」を考えてください。
あなたは、普段から書くことを意識しているでしょうか。「ひらめきや考えたことをいつも書く」、という態度があるでしょうか。ソクラテスは、自分で考えたことを書いてきませんでした。ソクラテスという人が2400年もの間、そして、未来のこれからも人類に問い続けることができるのは、書いたものが残っているからです。ソクラテスが偉かったとともに、その弟子であるプラトンが偉大な人であったから、この「ソクラテスの弁明」が書かれ、その偉大さが残っているのです。もし、この本が書かれなかったならば、数年でソクラテスが問いかけた意味は、消えてしまったでしょう。
書くことが大事です。書いて書いて書き続けてください。現在の科学文明が高度に発展したのも、書いた書物が残ったからです。もし、書くという手段が行われなかったならば、人の記憶に残るものは、わずかしかありませんから、今の高度といわれる文明は実現しなかったでしょう。書くことその重要性を認識し、行動してください。
6 子供の教育
私は、親から私の教育を唱えられたことがありません。親から豆腐を造り売ることを求められ、私の人生の悩みの原点となりました。なぜだろうか。いろいろ考えました。この疑問から生まれた一つのテーマが、親とは、どうあるか、どうあるべきか、でした。そのため紀元前にまで、遡りました。第4項では、人間教育が議論されています。歴史を通して、親は、子供に対し、全力で良き子への実現に向けて、エネルギーをかけます。だからこそ、良き文化が生まれます。今、日本が良きにつけ、悪しきにつけ、こうあるのも、親の行為の結果です。
我らは、まず、自分が世界のレベルを意識して大きく羽ばたく必要があり、そして、子の教育は、更に、親を越えて羽ばたく環境を整えることが肝要です。 (この項、2009.02.16 追記)
子供達への贈り物 1995年05月03日(水)後藤正治 記