ハム局

 中学生の頃、「CQ、CQ、CQ。こちらJA1・・・」「ジュリエット、アルファ、ワン、・・・」などと交信しているのを見てハムにあこがれた。

 この夢に一歩近づいたのは昭和55年10月司法試験に合格した直後だった。もう1ケ月半すれば司法研修所に入るという頃、三島信用金庫に勤務しているUさんからこんな話があった。「ハムの試験というのは問題を見ると電波や電気抵抗など理解して答えを出そうとするとなにやら難しそうですけれど、コツがあるので、やさしいですよ。小学校の2年生とか3年生が合格したという話を聞くと思いますが、要するにコツ。試験問題は繰り返し出ていますから問題を全部覚えればいいんですよ。」

 こう聞いて第4級アマチュア無線技師試験を受ける気になり家内とともに申し込みをした。私は、まじめにやろうとして法規集、電波の参考書を買った。しかし、電波の勉強をまじめにやろうとすると、どうもやる気がしなくなる。試験は3月初旬の明日に迫ってきた。私は、「面倒だ。やめた」と思い、これを宣言したところ、「そんなのおかしい」と言われ、やむなく一夜漬けで問題集1冊を記憶することにした。問題と回答で100問くらいあった。こうして、ぐらぐらした時期はあったが、夫婦とも合格となった。私は1~2問間違えた。家内はじっくり勉強していたようで「私は、全部できたよ」という。ちょっと、悔しいが、まあ、一夜漬けなら仕方がない。

 開局番号は、家内が「JJ2AXX」私が「JJ2AXY」となった。144メガバンド、通称2m(ツウメーターという)帯の機械を備えたのは弁護士になってからだ。自宅に据え置き型、車の中に携帯型を入れた。こうして交信を始めたが、どうも思った夢の実現になっていない。交信はまず、メインチャンネルで互いにコンタクトをとり、空いているサブ・チャンネルに移って個々の交信となる。知らない人との交信は互いに求めている話題が合致して、他のチャンネルを探すことになるのだが、私は、メインチャンネルで飛びかう話に加わっていけない。

 そこで家内との交信に落ちついてしまった。午後5時半から6時半ころに交信することにして、自宅の台所に設置した機械に電気を入れておいてもらう。「CQ CQ こちらJJ2AXY。今から帰る。夕食のおかず何。え、里芋の煮付け?じゃあ、外でたべるかな。」こんな会話である。Uさん曰く「先生、別に聞こうと思って聞いた訳じゃあないんですよ。奥さんとの交信たまたま聞いたんだけど、あれじゃ奥さんがかわいそうだよ。もっと気の効いた話題ないかあ。あれじゃ、離婚間近じゃない。」こうして家内との交信も検閲にあってとぎれがちとなった。そんなころ、車上窃盗に遭い、携帯用無線機を持って行かれてしまった。これで、夫婦での問題の多い交信は、途絶えた。盗まれたことで、離婚の危機が避けられたのかも知れない。

 更に、夢を実現すべく21メガバンド帯に行った。これは北海道から沖縄で広いエリアで電波をとることができた。しかし、これでも何か空しかった。なぜだろう。中学生の頃は、北海道や沖縄は地の果てである。それこそ、そんなところで住む人と話ができるなんて、夢のようだ。ところが、今は違う。電話も、テレビもある時代だ。弁護士となり、そこへ行こうと思えば、行ける。何か、私の心はさめていた。

 こうして、海外へ電波の方向を受けた。今度は英語の世界である。入る入る、どうもアメリカのようだ。今度は、シンガポールのようだ。しかし、応答する能力がない。問題は、英語である。こうして、帯に短し襷に長し、昭和62年頃から中断して、「JJ2AXX」と「JJ2AXY」の開設局も更新切れで閉鎖となってしまった。

 1995年5月、阪神大震災後のボランティア法律相談で神戸に行った際、50ccのオートバイが移動には有効だ、自家発電機の用意もした方が良い、そして、アマチュア無線をやっておられる方々の活躍の話を聞いた。静岡県では、駿河湾沖を震源とする東海大地震の話が出て久しい。また、パソコンとの接続の話も可能で、衛星通信の世界もあるようだ。こうして、再びアマチュア無線局を開設することを検討したが、未だに着手はない。

1997.2.24(月)後藤正治 記

 阪神大震災から24年を経過したが、東海大地震は、幸い未だに襲来がない。アドバイスを受け備えとして購入した50ccのオートバイと自家発電機は、朽ちてしまった。しかし、日本を取り巻く火山帯は活動期にあると言われるほど、多くの地震が日本の各地に発生している。代表的なものだけでも、2003年は十勝沖地震、2003年は新潟県中越地震、2011年は東日本大震災、2015年は小笠原諸島西方沖地震、2016年は熊本地震、2018年北海道胆振東部地震であるが、このほか全国各地に地震が発生している状況である。東海大地震だけは、不気味に静寂を続ける。

 ハム局を開設した昭和58年頃に比べると、携帯電話の発達は、著しい。ビジネスのための一部の者しか使用できない高価なものであったが、個人ユーザーの時代となって、今は小学生までが使用することとなった。携帯電話は、生活に不可欠な機器となったが、大地震による通信施設の破壊や使用者のアクセスが集中すると、通信網の途絶もありうる。これを考えると、ハム局の開局が必要なのかもしれない。

2019.7.23(火)追記